アイヌ問題の様相

アイヌ問題が議論が成立しない背景はアイヌは北海道の先住民として当然の権利が奪われている被害者であるので、加害者である日本、和人から何かしらの利益を引き出すのは当然という認識があるからではないだろうか。NPO法人としてアイヌ文化を保全し、遡上してくる鮭の漁にしても地元と共同で事業を営むなど、被害者姿勢から脱却するだけで済む話かと思う。

日本社会においては氷河期世代の不遇だったり、カルト2世問題、ヤングケアラーなど恵まれない境遇だったりと問題は数多くある。それを逆恨みして社会に対して被害者を主張するに留まらず、利益を引き出したいというのは私の理解の外にある。アイヌ問題が被差別部落問題に被る一方で、上記に挙げたカルト2世問題などとは様相が違うように感じるのも自然かと思う。

先住民であるかの定義だったりは専門家に任せるとして、それ故の特別な配慮が何か必要な理由はあるのだろうか?米国におけるインディアンと同じだとするには日本とアイヌの関係は様相が違うと思う。その辺の理解が対立するもの同士で議論を深めなければならないのだろうが、レッテル貼りに終始する馬鹿な自称リベラルな革新左翼の愚かさが物事を深められないでいる。