アイヌ問題について

例えばであるが日本文化が世界から認知されて外国人が文化の担い手、保護者になる事例がある。日本文化保持の為の振興資金をそんな外国人に与える事に反対する日本人はいるとは思えない。その点でアイヌ文化を後世に残す為に資金が担い手に与えられる事にも某国会議員も反対しないのではと思う。では何が問題になっているのかといえば、その担い手に与えられた資金は権利ではなく義務を負うからこそという部分である。残念ながらアイヌ文化問題では先住民としての権利を主張されるているように見える。私はアイヌ文化の担い手、保護者がアイヌの血が入っている必要はないと思う人間なので、先住民としての権利主張には違和感を感じる。日本人として国民は平等であり、例えば水産資源や森林資源の権益を先住民の権利として一部の人間が何かを主張出来るとは思えないのである。

権利を主張する事は誰かの権利を損なう可能性がある事を常に頭の中になければない。残念ながら正義に凝り固まったサヨクには通じない言葉になっているのだが。

反自民に求められている事

反自民に求められている事は左派の思想信条ではないと先ず明言させていただく。この事への無理解が左派による無党派ノンポリへの攻撃に繋がり、左派を毛嫌いする人間を増やしている。

では左派の思想信条によらない反自民とは何か、それは自民党と企業などが結びつく事で国民や消費者が不利益を被る事態を防ぐ事を求めているというもの。反日統一教会への国民の目の厳しさも左派とは無関係な理由である事からもわかる。というよりも日本の左派思想は反日のその部分に関しては統一教会と共通理解がある。それがはっきりわかるのが最近話題にもなった革新左翼東アジア反日武装戦線の存在。つまり、反自民に左翼思想は余分、邪魔になっているパターンがあるという事だ。

 

続いて反自民の材料、きっかけは何かを考えてみたい。よくある話で昨今の話題でもある政治と金の問題。原発問題。マイノリティ問題。マスコミに取り上げられる話題としてはこんなものではないないだろうか。そこで一つ一つ取り上げてみよう。

先ず原発問題だが、当座の電力需給と料金を減らしているのが原発なのは事実である。原発稼働による長期的な損害をと訴えるには金銭的余裕がない左派が擁護するべき層にはどこまで伝わるのか疑問。ただ実践する事で稼働停止の不安をなくせば良いわけで、左派首長のいる自治体で示して見せれば良いだけではある。可能なら都市部の自治体で。

 

マイノリティ問題に関しては

 

 

 

 

 

韓流における化粧について感想

先ず韓流スター、アイドル達の顔立ちについて。ロボット工学に限らず芸術などでも不気味な谷現象というものがある。私は韓流の彼らに対してはこの不気味な谷を感じる。昨今の韓流化粧をしたりする方々にも不気味な谷へと近づく努力をしている気がしてなりません。90年代の日本で似たような化粧が流行った時期がありますが、似て非なる部分は何の為の化粧術だったかの違いにあるように思います。昔の日本の方は非日常的な意味合いでの濃い口紅だったり、キリッとした顔立ちを化粧で表現していましたが、昨今の韓流化粧はその化粧の仕方で日常を、ナチュラルさを表現しようとしていて歪さを感じてしまいます。それが不気味な谷へと繋がっているのではと。

アイヌ問題の様相

アイヌ問題が議論が成立しない背景はアイヌは北海道の先住民として当然の権利が奪われている被害者であるので、加害者である日本、和人から何かしらの利益を引き出すのは当然という認識があるからではないだろうか。NPO法人としてアイヌ文化を保全し、遡上してくる鮭の漁にしても地元と共同で事業を営むなど、被害者姿勢から脱却するだけで済む話かと思う。

日本社会においては氷河期世代の不遇だったり、カルト2世問題、ヤングケアラーなど恵まれない境遇だったりと問題は数多くある。それを逆恨みして社会に対して被害者を主張するに留まらず、利益を引き出したいというのは私の理解の外にある。アイヌ問題が被差別部落問題に被る一方で、上記に挙げたカルト2世問題などとは様相が違うように感じるのも自然かと思う。

先住民であるかの定義だったりは専門家に任せるとして、それ故の特別な配慮が何か必要な理由はあるのだろうか?米国におけるインディアンと同じだとするには日本とアイヌの関係は様相が違うと思う。その辺の理解が対立するもの同士で議論を深めなければならないのだろうが、レッテル貼りに終始する馬鹿な自称リベラルな革新左翼の愚かさが物事を深められないでいる。

アイヌ先住民問題について

杉田議員の度重なる発信によってこの話題が続いているので、他の方の記事に対するコメントだけではなく、自分の考えとして記述したいと思う。

先ず、日本列島において弥生人は先住民なのかという事がある。明らかに縄文人がいるので個人的に弥生人を先住民と呼ぶには相応しく感じない。ただこれは私見なので学術的にはわからない。

何故そんな話を最初に持ってきたのかといえば、北海道においてアイヌ以前に住民はいなかったのかという話に及ぶからだ。そしてアイヌ以前にも住民はおり、時代を経て血が混じる事で先住民としての立ち位置を得られるのかが一つの争点としてある。そして血の交じりでいえばヤマト人も交じっている可能性があるわけで。

そして何より大きいのは先住民ということは対立軸として後から来た者がいるわけなのだが、アイヌに対峙するのがヤマトで本当によいのかと疑問を呈させて貰う。樺太や千島のアイヌに対してロシア人がという理屈は成る程と思うが、ヤマト人は北海道に行政区を設けなかっただけで、北海道の地で人としての営みをしていなかったとするには微妙なところだという事だ。

結局のところ、日本だったりヤマト人に対する非難の道具としてアイヌが活用されて、被害者アイヌ、加害者ヤマト人という革新左翼が求める構図の為に先住民というワードが安易に使われた弊害かと思う。

それとは別に国会議員である杉田議員が問題提起に相応しいのか、その言動はどうなのかという別の問題もあるし、他者にレッテル貼りして議論自体を成り立たせまいとするとはてブサヨ達の存在もいかがなものかと思う次第。

現在の安倍派閥への提言?

現在のところ風向きが悪いのは自覚されていると思う。ここからの起死回生には検察への協力とかはその通りするとして、政治家として政治資金規正法含めた政治と金に関して、国民が歓迎出来るより良い改革を自分達が提案する事である。お前達が言える事かよと多くの方々に言われるだろうが、改革の中身自体が良ければ気にする必要はない。そして…

ヤジ要るの記事で

いまだに選挙期間中の候補者へのヤジを正当化している輩がコメに湧いていて驚くしかない。

例えば左翼が大好きな申請した上での合法なデモ活動に対して、デモ活動が出来ないようなヤジ含めたアプローチが為された場合は公権力はヤジを排除するだろうし、それは当然の話。

置き換えて判断できない、相手の権利を認められない輩が左翼を気取るのは、ほんとうの左翼の方々にも迷惑だろうなと思う。