自分は正義だからと他者に何かを要求する事

欧米からの鯨漁やイルカ漁、同性婚を認めるかどうか、難民認定を欧米基準並みになどなど、自分達を正義だと位置付けて相手に変化を、行動を求めるケースが多い。まぁリベラルがこれに多く賛成するのは左翼らしくて自然ではある。

気になるのは3点、例えば少数民族や部族にはこれを求めない。何故なら彼らは可哀想で保護しなければならない存在だからだ。この傲慢のように感じる差別を区別としてどう彼らは自身の中で位置付けているのか。

もう一つは欧米で唯一神信仰が壊れ、今度は価値基準を唯一のものにしようとするその思考は何に起因しているのかという疑問。

もう一つは日本人的な思考故なのだが、相手に変化を求めるにもかかわらず何の覚悟もなしに要求する面の皮の厚さは日本人らしくはないなというもの。保守的な日本人だから思う事かもしれないが、自分が正しくないと思って相手に行動を強いる事は先ず無い。価値観の相違で相反する事があるだけで、その場合にはこちらも覚悟を示して相手に変化を求めるのが普通のように思う次第。

立憲民主党が自民党化してきた

私の主張したい事は立民は自民党化してきているという事です。

それでは自民党とはどんな政党でしょうか。政治思想的には保守ではありますが、野党の政策をつまみ食いするなどの節操の無さからも政策のウィングは広いです。

それでも自民党を定義するとしたら既得権益と一体化して日本に巣食う政党というところでしょうか。 

そしてこの自民党を嫌う人たちには二種類いると思われます。一つは反自民なのではなく革新左翼思想の人間達と、もう一つは自民の既得権益にしがみつく行為が日本を蝕んでいるという考えの人間達です。

そこで今回のテーマ、立民が自民党化しているですが、まさに立民の幹部の面々を見れば一目瞭然です。与党時代の失敗に無責任な姿や何期国会議員をするつもりなのかと言いたくなる程に既得権益化しているのです。某NPO法人の会計問題に端を発した革新左翼グループが公金に集る現実からも自民党との差を感じる事は難しいと云わざるを得ないです。

もう一点、現在は息切れしている維新ですが、少し前までの躍進から参考になる点があります。それは地元以外でも票を得る姿からわかる政党としての新鮮味だと、一選挙民としても感じています。立民が今後の躍進を考えたら所属国会議員の顔ぶれを大々的に代える事かと思います。

まぁ泉代表となり提案型にする事で、自民党にすり寄っているイメージを抱いている革新左派勢力には別に原因を求めるのかもしれませんが、過去に民主党へ投票した者の一人として民主党が与党になれた背景を考えると、間違った指摘だとは思いません。